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| 平成19年7月21日 高山さんへ 高山さんとは、いくつか現場を共有させていただきましたが、その度にいろいろなことを教わりました。私が一番覚えているのは、高山さんがトリートメント(と呼ばれていましたね)した一本の柱をとある竣工した現場でみたときの感覚です。実は、その一本の柱を見たときに私はドキッとしたのです。柱というのは建物を支える構造材です。支柱という言葉の通り、人を保護する屋根を支えているわけです。しかし、高山さんが手を加えた柱というのは、それに関わる人間の精神をも支えているというか、文化とか風土とかそういうものも支えている、そういう感じがしたのです。 建築家というのは、日本では明治に作られた職業です。近代社会を導入するために、まず形が取り入れられたんですね。鹿鳴館で舞踏会を催したいから、といっても言い過ぎではない。伊藤博文や井上馨など当時の政治家は、近代人になるため狂ったようにダンスの修練を積んだと聞きますから、冗談では終わらない話です。つまり、建築家というと、まずは西欧近代的な生活をするための箱をつくる人のことですが、それは明治の頃からさほど変わっていないかもしれません。学校で教育しているのはほとんど無条件でモダニズム建築ですし、実際に私もそういう教育を受けました。六年ほど前に、幸か不幸か最初の住宅を設計する機会を得たのですが、高山さんもご存知だと思いますが、フラットルーフのモダンな住宅です。設計当初、私はそれでも悩んでいたのです。その悩みというのは、今とは全く質が違う悩みなのですが、いかに進歩的なデザインをすることができるか、というものでした。 この悩みが、個人的には間違ったものであるということにはすぐに気がつきました。要因は幾つもありますが、その住宅そのものの姿がひとつです。そして、もっとも大きいのが、小栗康平監督の諸映画との出会いです。建物を設計するもっと前から作品は観ていたのですが、ひとつ自分で住宅を建てた後に、たくさん入ってくるものがあったんです。もちろん一言では語れませんが、監督の映画は西欧近代社会で生まれた映画というものを問い直し、もしかりに日本(アジア)で映画が生まれていたとしたら、という根源的なところから出発し、撮られたものです。そのことがわかったときに、私は自分のことが恥ずかしく感じられたのです。映画と建築のおかれている状況は似ていませんか?沢山の映画を撮る人ではありませんが、最初の作品が撮られてから三十年近くも経ちます。監督の仕事は、作品を追うごとにどんどん深められていっています。そのどれもが、沢山の示唆を含んだ映画です。私は大学院を卒業してヨーロッパを放浪してから自分の事務所をすぐに立ち上げますので、ほとんど独学ですが、建築のほとんどを小栗映画に教わったといってもいいでしょう。 高山さんへの問いに戻ります。おそらく、その一本の柱というのは、誤解があるかもしれませんが、高山さんの力だけではできなかったかもしれない。前の住み手がいて、新しい住み手がいて、前の棟梁がいて、今回の棟梁がいて、環境があって。そこには、自由で自立した個人、ということはあからさまには見えてこないですし、進歩、という言葉からも無縁だと思えました。それでも高山さんを抜かしては考えられなかったでしょう。そして、その柱を見たときに、私は、家はその柱の延長にあるべきではないか、と考えたのです。 木工の歴史を私は知りません。もちろん生活様式が変化していますから、生活に応じた家具のあり方も変化しているでしょうけれども、手仕事、職ということであれば中世には確立されていたのではないでしょうか。 近代社会は、素晴らしき未来があるということを前提にして成立しています。自由で自立した個人は、その実現のために常に邁進する使命を背負わされています。進歩が日々義務づけられているわけですが、たかだか歴史の中で五十年だの百年だのの間に培われてきたそういう習慣は、本当に信頼に足りるのでしょうか?できれば、この点を、建築家よりも長い長い時間の流れの中に身を置いている職人である高山さんの話を聞いてみたいと思いました。 今回、高山さんのご友人でもある高松さんの新築工事を受け持ったわけで、できればこの機会に高山さんとの交わりをさらに深める事によって、新築の建物をその一本の柱に近づけることができるのではないか、と考えたわけです。もちろん、一回限りの建築でどこまでも深く沈み込もうなどとは考えておりませんが、とにかく探っていきたいと思いました。そういう機会が訪れたことを幸運に思っています。お返事、楽しみにしております。 |
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