2010/2/22

兄の店「クヌルプ」にて、私の古本を販売しております。コメント欄を書くのが結構しんどいのでさくさくとは増やせませんが、ちょっとずつ、本を紹介できればと思っております。

そもそも、店名のクヌルプは、東京でやっていた頃の私の設計事務所の名前でして、それを兄の店に譲った、というと偉そうに聞こえますが、まあ、設計事務所には不向きだろうということだったと思います。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ヘッセの小説のタイトルです。自由気ままに人生を送った主人公、クヌルプにあやかりたかったのでそうつけたのですが、どうでしょう、改称したからなのか、益子に引っ越して来て、確かに、自由な生活を送っていますが、気ままかというと、そうでもないような気がします。

ちなみに、2月22日はニャンニャンということで猫の日だそうですが、今年は平成22年ですから、なお一層、猫の日。猫って、心底、自由気ままですよね。そうでもないのかな?

クヌルプ>>
2010/1/27

あけまして、おめでとうございます。
近々オープンする、「茶屋雨巻」について書きたいと思います。

今、私が大工のようなことをやって建設している茶屋がありますが、「高松邸」の敷地の一区画がその現場です。店の名の通り、雨巻山の麓に位置しています。

「建築は今日、可能なのか」ということを考えると、甚だ、頼りない気持ちになって来てしまうのですが、ここでなら少しくらいその可能性があるのではないのか、と思えてきます。

建築というものは、(建築家が思っているほど)そう、たいしたものではない、私には、そんな風に思えてしまいます。なぜかというと、建築は、土地やそれを含む環境がなくてはどだい成立しない、という、とても当然なことが、当然のように、持ちあがるからです。

身体的に、建築とその環境、そしてそこに居座る人と通り過ぎていく人、に「関係」していくことが、私が考えている建築行為です。しかし、そもそも身体的に建築と関わることが現在の建築現場でできるのか、というと、なかなかそうはならない。効率化、分業化が進んでいますから、のこのこと、建築家が現場に鑿と槌を持って現れたのでは、大工さんにも施主にも迷惑がかかりますし、竣工してしまえば、それこそ思い通りに建築に足を運ぶことはできません。

私が住んでいる山で、私が考える建築行為の少しくらいは実践できているかもしれません。自分が大工をやって建てた家に家族と住んでいて、わずかばかりですが畑をやり、雑木も自分で伐採しているのですから、身体的に、建築と環境に関係している、といえなくもないでしょう。しかし、あくまでも非公開なプライベートスペースですから、そこを通り過ぎてゆく人ということについては、相当限定されます。ダイナミックなことにはならない。イノシシやキジやカモが時折敷地を横断することぐらいが、ありうるハプニングでしょうか。

「高松邸」の高松さんが、茶屋をゆくゆくはやっていきたい、と発言された時、何となく私の意志は固まったのかもしれません。人との関係だけでいうと、私の山とは比較にならないくらい「茶屋雨巻」の敷地はダイナミックな運動性を持っています。なにせ、雨巻山への山道にその茶屋はあるわけですから。

場所、土や風や水などの自然が与えてくれるものの方が、建築なんかよりも遥かに私たちには大きな存在です。そういう事柄から離れて建築は成立しない、そういう自戒の意味も込めて、私は事務所の名前にランドスケープという文字を残しています。
ちなみに、私の事務所の英語表記はM.A.L=Machida Architecture & Landscape Design Officeとなっています。

私の考える建築行為が、ここでは可能かもしれない。そんなわけで、私は「高松邸」の敷地に関係し続ける道を見つけたのでした。「茶屋雨巻」、私自身もとても楽しみにしているのです。フォカッチャと珈琲、和菓子とお茶をメインに出す予定です。3月はプレオープンということで、土日の限定オープンとなります。詳細は以下のサイトをご覧下さい。

茶屋雨巻>>



2009/12/20

インターコースというページを設けているのですが、スイス人の友人にインターコースじゃあ性交という意味合いが強すぎる、という指摘を受けました。確かマルクスかなにかの本に、交流とか交通とかという意味合いでインターコースという言葉があったような気がしているのですが、もしかしたら記憶違いかもしれません。トラフィック、などとした方が無難かもしれませんが、面倒くさいのでそのままにしておきます。ジャパニーズイングリッシュということで。

今、高松邸の敷地に茶屋を建設しています。オープンは新春を予定しています。まだやることが沢山あるので、(ありすぎるので)おそらくプレオープンなどといってお茶を濁すことになるような気がしているのですが、そんな気でいる以上、そうなるであろうと確信しています。リラクゼーションミュージックという言葉を世に送り出したミュージックディストリビューターの高松氏と、タイ式マッサージのプロである久美子さん、そして私が茶屋を日別で担当することになります。おそらく私の曜日は、フォカッチャと珈琲、和菓子セット、そして朝食(ポーチドエッグベネディクト、サンドイッチ)、昼食セットをご提供する予定です。



2009/6/15

13日に初日を迎えた『レスラー』を観ました。人間、それしか撮っていない映画ですが、その人間たるや、、、。「USA、USA、USA」というかけ声を背負えるひとつの肉体、精神がこの現代にあるのか。

“再戦”と銘打たれたリングの上で華々しく行われる、傷つきボロボロだけれども鍛え上げられた美しい肉体と、全てのよりどころを今まさに失わんとするその直前の哀しい精神、その両方の自殺。華やかな自殺、華やかだけれども、果敢なく哀しい自殺。レスリングのリングへと、スーパーの売り場へとつづく雑然とした通路は、どちらも現実とはいいがたいフィクショナルな世界へとつづく小路。舞台裏とは、言葉通り、裏を返して現実そのものなのである。そこは、見届けるものにも歩む張本人にも、痛くて直視しがたい。
その先に、レスラーという肉体と精神の姿をかりたアメリカ合衆国が、ぼんやりと見えてくる。おおいなる幻想の世界、アメリカ。この国は、ランディ同様になんとボロボロで、なんと疲れ切っているのだろう。連呼される「USA、USA、USA」という言葉がかろうじて彼らを奮い立たせている。

当然のことかもしれませんが、小栗監督の映画とは対照的な映画です。そんなことを考えながら、『レスラー』と『埋もれ木』をご覧になっていただくと、面白いかもしれません。ちなみに、『埋もれ木』はNHKのBS2で、6月26日の0時40分(6月25日の24時40分)から放送予定ですので、未見の方はこの機会にどうぞご覧下さい。

私事ですが、四年ほど前にプロレスラーとアメリカに触れた記事があります。興味がある方は、ご一読ください。ボロボロで疲れ切っているのはアメリカかもしれませんが、本当のところ病んでいるのは、この日本かもしれません。

「チャベス ベネズエラを、プロレスが消えゆく日本で読む」 >>



2009/4/2

私自身が大工のようなことをして建てた家が完成しつつあります。「家とはどうあるべきか」という問いがずっと私の中にありました。まだ整理は出来ていませんが、なんとなく見えつつあることを今後、まとめていきたいと思っています。



2009/1/9

あけまして、おめでとうございます。本年度もよろしくお願いいたします。早速ですが、映画の告知をさせていただきます。1月17日と18日に益子の町民会館にて、小栗監督の全映画を上映することになりました。益子では初めての試みです。ぜひ、みなさまお誘い合わせの上、足をお運びください。ちなみに、松坂慶子さんと岸部一徳さんとの対談も企画しております。撮影風景のパネル展示も行う予定です。



2008/12/14

とある現場の今だけにしか見られない、夜景建築写真です。防水シートを透過した室内の照明が外をぼんやりと明るくしています。さて、話は変わりますが、高山木工所の高山英樹氏からの返事の手紙が届きましたので、久しぶりにアップいたしました。もしよろしければご一読ください。 往復書簡へ >>



2008/9/29

昨年も行われた栃木映画祭が、今年(10月4日〜5日)も行われます。『埋もれ木』の上映終了後に、小栗康平監督と仁科貴さんとの対談が予定されております。先日、電話で少し話すことができたのですが、北野武監督の「アキレスと亀」にもご出演されたとのこと。お会いするのは、三年ぶりでしょうか、、、今から楽しみです。 栃木映画祭詳細 >>



2008/9/19

高松邸と家プロジェクトの写真をアップしました。まだちゃんとした写真が撮れていないのですが、少しずつ季節をみて撮影しようと思っております。 WORKS(仕事)>>




2008/2/17

いつか小栗監督とこんな話をしたことがあります。真剣に対象と向き合って映画(建築)をつくるとしたらペースはどんなものかと。私は今のところ建築家ですから、家なら一年に一棟かな、っていいました。監督は、映画なら三年に一本でも早すぎるな、っておっしゃいました。もちろん、時間をかければいいというものではありませんが、小栗監督はおおよそ六年に一本のペースで映画を撮られています。どうしてそんなに時間がかかるのか、一度、そのこと自体に観る側も向き合って考えてみてもいいかもしれません。幸運なことに、三月からポレポレ東中野で一挙に監督の作品を観ることができます。三十年間の仕事をひとつの映画館で通して観ることができる、貴重な企画です。ふたつの大きな目が、三十年間、どのような対象と向き合ってきたのかを私も追ってみたいと思います。