平成19年8月22日
町田さんへ


僕は、高校を卒業してから、能登を出たんだけどね。僕の町には職人が沢山住んでいて、みんな田んぼや畑もやっている、いい環境だったけれども、能登だって日本だから、やっぱり地域の閉鎖性とか、固定観念とか、同じことをやりなさいという、つまり、大きな会社に入って働きなさいとかね、そういう場所でもあった、だから、能登から出たかったんだと思う。でも、自由になった今考えてみると、人が暮らすということでは、すごく理想的な場所だったと思える。能登には自然もあるし。宗教だっていろいろあるけれども、基本的にあそこら辺は浄土真宗の念仏教なわけでね。こう、南無阿弥陀仏と唱えているおばーちゃんがいてさ、それと加賀百万石の豊かな文化があってさ、そういう歴史が静かに続いていて。ものすごく豊かで平和な土地だった。恵まれた環境だったし、多分、おばーちゃんたちは幸せに暮らしていたんだと思うよ。そういう場所なんだけど、やっぱり高校を卒業をすると出たくなっちゃって、東京に出たんだよ。しばらくは洋服の仕事をしていたんだけど、きっとまたその話には、なると思うけど、そのころは日本のシステムというか、そういうものに馴染めないものもあったから、結局、東京も離れて海外にまでいってしまったんだよね。

自分が住んでいたときは能登を閉鎖的だと感じたんだけど、もともとこの辺は、いろいろなものを受け入れていた地域だったはずで。人間の価値観や生活スタイルが単一化してきたのはここ最近のことでさ、どんどんどんどん、人種のみならず、意識なんかも単一化していっちゃったと思うんですよ。能登は、根が朝鮮から入ってきているから、また面白いんだけどね。僕の町には、渡来系のとても古い神社があって、独特なお祭りがあるんですよ。そのせいかもしれないけど、僕の町には大工が多いんです。根拠があるわけじゃないんだけど、僕の町の大工は腕がいいって、ほかの町の人がよく言ってました。この間、金沢城の修復をしたときも、沢山うちの町から行ったみたいなんですけど、それはたぶん大陸からの技術が根にあるからだと思うんですよ。そもそも昔は輪島の輪(わ)は倭人の倭(わ)だったみたいだから、おそらく朝鮮から見た倭人の島ということだったんでしょうね。それから、能登にはモーゼの墓かも知れないと言う小さな山があるんですよ。真偽はともかく、きっとそういう人たちが居たということだと思うんです。だから、地方は閉鎖的で住みにくいっていうのも、メディアの影響とかもあって、最近の人が考えたり感じたことだし、実際に閉鎖的なのだとしたら、それこそ、ここ最近のことなのかもしれないよね。おそらく鎖国をしていた江戸時代にだって、能登には朝鮮との交通は沢山あったはずだし、思った以上に流動していたんじゃないかな。

僕は過去に益子のスターネットで個展を3度ほどやらせてもらったり、建築の仕事にも木工職人として参加しているのですが。個展と建築現場の仕事では、大きく違う所があるんだけど、そのひとつが、施主の顔や空間が実際に見えるか見えないか、ということです。基本的に家具や建具を作るときには、現場の持っている力というか、施主の顔なり人柄なりをとらえることがとても大切なんです。すべてが関係性で成り立っていますから、ところが個展の場合は、もちろんある空間で行われる以上、その空間の影響も受けるけど、ほら、特にスターネットのゾーンには物語があるからね。でも求めてもらって置かれる場所は作っている段階ではわからないわけだから。全て仮想の空間と人物を相手にしないとならない。そういう違いがあるんです。ただ、その相手にしている仮想の空間や人物というのは、本当に難しいんです。個人的には根のあるものを作りたいのだけれども、一般的な話にしちゃうと、都市の人なんかは根のあるものだと、かえって使いにくい様な気がするんですよ。どこで作られて、どの人が作ったというのがわかると、生活に合わせにくいんじゃないですかね。もともと僕の作品を見に来て下さって、いきなり買う人は少ないですね。つまり、僕と話したことがある人や会ったことがある人、過去に僕の作品にふれた事がある人でないと、なかなか、初めて見て「買う」ということにはならないみたいです。ちょと、根っこが強すぎるのかもしれないですね。建築の仕事のときは、ぐっと空間を作る方へシフトするのだけれども、個展のときは、もっと素材そのものに向かわなくてはならない様な気がします。前回の鏡と古材、今回のガラスと古材というのは、そんな事から生まれたのかもしれませんね。鏡もガラスも工業製品だから、そういう意味では僕が使う古材を和らげてくれるのかもしれないですね。まだまだ探ってみたいことは色々あります、素材と素材の関係とかをね。

益子には、自然な流れで住むようになったわけだけど、僕が益子に来たのは、木工作家になる為にというより、自分の想い描いている生活をする為に、自分で出来る事の延長線上に木工があった訳です。そういう意味では、やっぱり作る場所っていうのはすごく大切です。そもそも、作る場所がないと、作る気にならないし、僕もちゃんと作りはじめたのは、自分の家と作業場を持ってからです。もしかしたら他にもたくさんいい場所があったのかもしれないけど、益子にたどりついて本当に良かったと思います。自然とのバランスもいいし、農業もあるし、いい場所なんですよ、本当に。これもなにかの縁ですからね。建築も、何度も何度も現場に立って見て感じて設計されるべきでしょう?それが一番大事なんじゃないかな。僕の家で一番好きなのはね、窓の外に見える田んぼや森や林の稜線だったり、そういう何百年も変わらない風景があることかな。変わらないものに意識を持っていける環境にいる事は本当に素敵なことだからね。


過去のやりとり

平成19年07月21日 町田から高山英樹さんへの手紙を読む >