Archives for the ‘家’ Category

書くことは旅をすること

わからないところにいて、よりわからなくなるために移動してみることを旅と呼ぶのだと思う。文章を書くことは旅をすることと似ていると人が言うのは、そのことを指して言っているのだと思う。わからない、ということはちっとも怖いことではない。でも、わからない、という出会いをやめてしまうことは僕にとってはとても恐ろしいことだ(Isla Mocha, 2009)

ペントハウス


ペントハウス(諏訪、2019)

不自由

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自分は写真家ではないから写真が自由なのかというとけしてそうではなくって、とても不自由で、その自由を手に入れた者が写真家と呼ばれるようになるのだと思うけれど、、、、(益子,2016)

空/家/大地

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空と大地を繋ぐもの(沖縄、2015)

氷面

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氷面(宮守、2016)

森の廃墟

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廃墟の森(遠野、2015)

表層

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ひとの生活を含んだことのある家(北鎌倉、2001)

望月

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ひとに会いに度々訪れる町がある(望月、2015)

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墓(台北、2007)

白い扉と黄色いドラム

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白い扉と黄色いドラムが美しい(沖縄, 2001)

トランスフォーム

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変容する家(真岡、2009)

エッジ

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エッジにある家(羽幌、2013)

ハト小屋

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陶芸家のハト小屋(益子、2014)

女の庭

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ハトの軌跡を辿る旅は、女の庭を探す道(黒磯、2014)

反射

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ガラスに映る夏の記憶(綾織、2014)

小屋

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春(栃木、2014)

意志

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住むという意志が崖にへばりついている(バルパライソ、2009)

気配

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椿の前 ふたりの少女 こんにちは

日陰村

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記憶(長野、2006)

進歩

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昨年も、その前の年も稚内での放鳩シーンを撮影できなかった。努力が何かを約束してくれるわけではないけれど、稚内の空を想像できることはまぎれもない進歩(オン・ザ・ロード/ルートH)

朝食

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次の震災がいつくるのかもわからない、安全な食が保たれるのかもわからない、そんな世の中なのに、政治は世をさらに混乱させようとしている、これも、理屈がわからない。わからないことだらけだけれど、この子が毎朝必ず白いご飯を要求してくる、という決まりごとに、なにか糸口がある気がしている

耳をすます

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耳をすました(石神井、2013)

秋口

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風雨

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風雨をしのぐ家(岩村、2013)

大谷海岸

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そのとき、気仙沼方面に向かって器用に線路の上をとことこと歩く猫と眼があい、互いに、はっとしました。(気仙沼、2012)

そらの道

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ねこの道、道草、そのうち、そらの道(チューリッヒ、2012)

アト

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カエル

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どんな家でも、家は、カエルところ(沖縄, 2001)

チセ

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アイヌのチセ(家)は、ひとつの原型かと思われます。「なにが必要なのか」「どうして必要なのか」を自然に対して答弁する責任をこれ以上の家を望むひとに課してみたらどうだろう、その時、私はなにを望み、どう説明するのだろうか。(オン・ザ・ロード/ルートH)

なごり

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はとよ、いずこ(オン・ザ・ロード/ルートH)