Archives for the ‘文’ Category

黒猫白猫

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ミチカケ連載『土と土が出会うところ』
第6回目「黒猫のようなもの、白猫のようなもの」

根っこをいじっているからか、どこかみんな、なんとなく、ふかふかとふわふわとしていて、柔らかかった。そう、震災と原発事故を経たこの時期、私のまわりのだれもがなんとなくとふわふわしていた。それに伴い当然に双方を含んだ空気も、ゆらゆらと、揺れていた。けれどもそれは不確かなものを確かなものと偽っていた頃の揺れとは違い、何もないところから何かが始まるときの革新的なゆらぎだった、ときっと数年経って振り返ればそうだった、と言われるもののようにその時の私には思えたし、今もそう思っている。(一部抜粋)

みずろく

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季刊誌ミチカケに連載中の『土と土が出会うところ』に、「みずろく」を寄稿しました。書きながら、だんだんとミズロクがなんなのかが、じんわりと自分にも分かってきて、発見の多い執筆時間でした

音の孤独

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か細い棒切れに結ばれた赤い布があちらこちらで風を受け、へんぽんと翻っている。揺れる布は、こんにちは、そんな風に言っているようでもあるし、さようなら、そんな風に言っているようでもある。こんにちはとさようなら、その両の手に掴まれて身動きが取れなくならないよう、できるだけ私情を挟まずにぽっぽぽっぽとハトのような返事をする(ハト本短編第四集『笑い』より抜粋)

サンコウチョウ

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目を閉じると闇がある。一周ぐるりと回って触れたかったあの子の肩が、その闇にある。その闇のなか、長い長い尾が限度もなく落ち続けている。その落ちた尾を追う者はない(ミチカケ「土と土が出会うところ/サンコウチョウ」より抜粋)

こつぜん

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祖母は、私の小屋を見ずに死んでいった。けれども、生きていたとしたら小屋を見に来たか、そう自問すると、それはありえない、と自答するしか他にない。であれば、死んでしまった今の方が、祖母は、私の小屋の近くにいるということになりはしないか。私の小屋の前には、見えないくらいの量の水が流れる川がある。数日雨が降った後にそれはこつぜんと現れる。その、こつぜんと現れる川にあわせて。(『ハトを、飛ばす』連作のうちの三冊目「こつぜん」より)

里の舞い

本物の海の音、本物の踊り、本物の言葉や歌はどこかにある。それはただ、聞かれたり見られたりするのをじっとどこかで待っている。私がそこへ辿り着くのを待つともなく待っている。
本物の海の音は聴いたことはないかも知れないけれど、優れた映画を観たときにその音を聴いたように思えたことがある、と私は、私としてはめずらしく長い間黙った後に言った。女は素直に、ぜひその映画を流している小屋に私を連れていって欲しい、と可愛くせがんだ。(中編小説「穴よ、海よ」より抜粋)

白菜の海で

土の恩恵を存分に受け、そこに根ざしながら空高く飛ぶ術を知っているハトのようなひとりの農夫が私の町には住んでいる。巣に返ってきたハトを迎えるとき、うまくなった農作物を前にするとき、今まさに舞の途中であるといった笑いを彼は顔に浮かべる。土地と空とは、それぞれがそれぞれを映した鏡像だ、ということを鳥が空を通して知っているように、ハトをやる農夫は土を通して知っている。何百キロ飛んで返ってきたハトを見るとそれがどんな旅だったのか全てわかる、と言う土に活かされ空を知る彼こそが、空と土地の間にある一枚の鏡なのかもしれない。 (「ハトを、飛ばす」本文より抜粋)

音の孤独

老舗のデパートの外壁を色取る国旗が風を受けてへんぽんと翻っている。ホシムクドリの体に浮かんでいる星が小さな四角い青空にも同じように散らばっている。動きをもらった赤い直線のストライプが、静かに眠る森の住人を煽っている。

祖父は、静かにこう話し始めた。まるでそこが戦場で、私が敵に見つかってしまうことを怖れているかのように。

「私はいつ死んでしまうかわからないから、このことだけは話しておきたいとずっと思っていたんだよ」(『ハトを、飛ばす』本文より「音の孤独」)

祖父が語った戦争の記憶は、私の側の言葉とは分離して、語られたときのまま、国旗を揺らす風の届かぬ底に今も沈んだままでいます。