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もっとシンプルに

『土と土が出会うところ』は反射をひとつのテーマとして書いていました。私という身体を鏡として反射しあっている「土と土」、その自然の様子(音)を言葉へと変換することで、人に読んでもらえるものとしました。もちろん、その時から、たとえば浄土と穢土という反転にも自覚的でありましたが、『星(ほし)と塩(しほ)との遠近』でもって、その中心にあった身体という鏡をひとつ後退させ、ものとものがそこに反転した状態でただただ〈複雑ながらも〉在る、ということを記してみました

けれども、書くという行為の時に引っ張り出してきた心身が、自分で自覚していたよりだいぶ社会化してしまっている、というのがこの夏に気がついたことでした

リハビリテーションとして、詩を書いていこうと思っています。ものとものがそこに反転した状態でただただ〈シンプルに〉在る、ということが記せるようになりたい

おん、だいた

あの山が、人にとっての風景なのではなく、自然にとってのひとつの出来事なのだとする感性があったのなら、きっと、それは全体としてありありと見えるのだろう

ただ、現代人である今の私には、それがどうしても見えない

それでも、山と山とのあいだにそれが座していることが体感としてわかるのだから、センサーとしての私の身体は、そんなに鈍いものではないのかもしれない

なんなら、だいたら、いいのよ
だって、
あなたもわたしも
あったものではないのだから

そう言ってくれているのが、私に、聴こえる
いや、私は、そう聴こえたふりをしている

だいたら、だいた
おん、だいた
互いにだいたら、あなたもわたし
どのみちひとり
だいたら ぼっち

暴力的にも、そんなふりをして
わたしは、垂直的な時間の中で
あなたを、とっぷり、抱いている

しかし、感じてみるとその熱量は、わたしにとってはあまりにも膨大すぎて御(ぎょ)しがたく
恐れをなしたわたしの一部が、それを名前として閉じてしまう

敬意を評して「おん(御)だいた(代田)」

そして、それは大きく捉えれば間違った行為ではなかったのだろう、と、我に返った、私は、そう思う
場を開きっぱなしにする癖のある私に「閉じるのも優しさだよ」と言ってくれたのはSさんだった

またいつの日か暴れるその日まで
せめてそれまでどうか健やかで

山あいのあいまに、ごろねん、ねんね
静かに、静かに、おねむりなさい
いつかまた暴れられる、その日まで

8月 Book Event

白線文庫のブックイベント
東野翠れん+町田泰彦「声のなるほうへ」

8月6 – 7日 13:00 – 17:00
at Librarie by HAKUSEN
鳥取県東伯郡湯梨浜町松崎619 旧さくら小学校 1F

8/6(土)
15:00
朗読&トークイベント〈リブラリエ〉
17:00
「ハトを、飛ばす」(72分)上映会〈jig theater〉

8/7(日)
15:00
朗読&トークイベント〈リブラリエ〉

ご予約は白線文庫online storeからチケットをご購入ください
https://hakusenbunko2010.stores.jp/

7月 Book Event

ROOTS –
pickandbarns 40th Anniversary Exhibition & Event
2022年7月16日(土) -18(月/祝)
Open 10:30-Close 19:00
福島市大町9-16

タイアップイベント@Books and Cafe コトウ

町田泰彦 × 笑達展
「土と土が出会うところ」
/ 上映会&お話会(要予約)
Open 11:00 – Close 19:00
7月16日(土)
●14:00~14:30 短編映画「益子方丈記」上映(24分 / 参加費・無料)
●14:40~17:00 短編映画「ハトを、飛ばす」上映(72分)
朗読/おはなし会 町田泰彦 (参加費・¥1000+ one drink ¥500)
7月17日(日)
●14:00~14:30 短編映画「益子方丈記」上映(24分 / 参加費・無料)
●14:40~17:00 短編映画「ハトを、飛ばす」上映(72分)
朗読/おはなし会 町田康彦×コトウ店主 小島雄次 (参加費・¥1000+ one drink ¥500)
7月18日(祝)

●14:00~14:30 短編映画「益子方丈記」上映(24分 /参加費・無料)
●14:40~15:45 短編映画「ハトを、飛ばす」上映(72分 / 参加費・¥1000)
福島市宮下町18-30
books.cafe.kotou@gmail.com
Instagram : @kotou.books.cafe
◆上映会&お話会のご予約は店頭、メール、SNSのDMでお問い合わせください。

新刊

『土と土が出会うところ』

絵・写真を含む全7章

Ⅰ 水と水が出会うところ
Ⅱ 喫茶ウェリントン
Ⅲ 星日月(ほしひーつき)
Ⅳ ポポウのみた夢
Ⅴ いつもの場所
Ⅵ みずろく
Ⅶ 黒猫のようなもの 白猫のようなもの

ページ数 128ページ
サイズ  148mm x 210mm
出版   shushulina publishing
ISBN    978-4-9912268-1-6
価格   2500円+税
2021年10月28日 発刊​

https://www.shushulinapublishing.com

ふたりのあいだ

ざーざーざー、と寄せては返す波の音がする。波を砕くテトラポットも波を防ぐ防波堤もなんにもない世界で、海の温かさを共有しながら波打ち際でひたひたとふたり戯れている。波の音を打ち消してしまわぬよう慎重に言葉を探しながらぽつぽつとふたり語り合っている。

「美しい山という時の美しさと、美しい海という時の美しさは同じではないよね」
「うんうん、同じではないよね」
「私は、美しい海と言うほどには山のことを知らないけれど」
「うんうん、それはどのような関わりを持つのか、ということに違いない」
「いや、私には海のこととて美しいとはまだまだ言えない」
「うんうん。最近、粘土を手にすることが増えて私は山の存在がとても気になっている」
「うん、そうだった」
「でも、その山のいただきに海の痕跡であるチャートを拾うことがある」
「うんうん」
「波打ち際の砂の表情のように人間は消滅するって言う時の人間に、ついぞ私たちは乗っからなかった」
「うん、乗っかったためしはなかった」
「美しい山と言う時の美しさか」
「うん、山が美しいと言う時の山か」

ひっつきながら話していると互いの主張がこんこんと混ざりあっていくような感覚があって、うんうん、とする相槌ももはや自分に向かっているのか相手に向かっているのかわからなくなる。そういうことがどんどんとわからなくなって闇も深くなり、ヒーナは寝ているのか、起きているのか、死んでいるのか、生きているのか、その彼岸と此岸の両方の縁に触れているような気分にしっとりと沈んでいくのだった。そして、ふたりのする話はいつまでも進化過程の両生類みたいに、一歩陸地に這い出してはずりずり海へと踵を返す、そんなまどろっこしい停滞の中にあった。まるで、終わりと始まりが同時にその波打ち際にあるかのようだった。ヒーナは「ねぇ」とすいに声をかけた。すいは「なに?」と返事をした。ヒーナは、ねぇ、よりも先に言葉を足さなかった。すいは、なに?、よりも奥に言葉を探さなかった。ねぇ、と言った時、ヒーナはもうはんぶん寝入っていた。ヒーナの身体がぴくりとミオクローヌスを起こしている。それはもしかしたら人が水の中で息をする生き物へとゆっくり変成を遂げているその微かな兆しなのかもしれない、とすいはヒーナの身体に触れながら思ったのだった。

絵:笑達
文:町田泰彦

黒猫白猫

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ミチカケ連載『土と土が出会うところ』
第6回目「黒猫のようなもの、白猫のようなもの」

根っこをいじっているからか、どこかみんな、なんとなく、ふかふかとふわふわとしていて、柔らかかった。そう、震災と原発事故を経たこの時期、私のまわりのだれもがなんとなくとふわふわしていた。それに伴い当然に双方を含んだ空気も、ゆらゆらと、揺れていた。けれどもそれは不確かなものを確かなものと偽っていた頃の揺れとは違い、何もないところから何かが始まるときの革新的なゆらぎだった、ときっと数年経って振り返ればそうだった、と言われるもののようにその時の私には思えたし、今もそう思っている。(一部抜粋)

みずろく

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季刊誌ミチカケに連載中の『土と土が出会うところ』に、「みずろく」を寄稿しました。書きながら、だんだんとミズロクがなんなのかが、じんわりと自分にも分かってきて、発見の多い執筆時間でした

音の孤独

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か細い棒切れに結ばれた赤い布があちらこちらで風を受け、へんぽんと翻っている。揺れる布は、こんにちは、そんな風に言っているようでもあるし、さようなら、そんな風に言っているようでもある。こんにちはとさようなら、その両の手に掴まれて身動きが取れなくならないよう、できるだけ私情を挟まずにぽっぽぽっぽとハトのような返事をする(ハト本短編第四集『笑い』より抜粋)

サンコウチョウ

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目を閉じると闇がある。一周ぐるりと回って触れたかったあの子の肩が、その闇にある。その闇のなか、長い長い尾が限度もなく落ち続けている。その落ちた尾を追う者はない(ミチカケ「土と土が出会うところ/サンコウチョウ」より抜粋)

こつぜん

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祖母は、私の小屋を見ずに死んでいった。けれども、生きていたとしたら小屋を見に来たか、そう自問すると、それはありえない、と自答するしか他にない。であれば、死んでしまった今の方が、祖母は、私の小屋の近くにいるということになりはしないか。私の小屋の前には、見えないくらいの量の水が流れる川がある。数日雨が降った後にそれはこつぜんと現れる。その、こつぜんと現れる川にあわせて。(『ハトを、飛ばす』連作のうちの三冊目「こつぜん」より)

里の舞い

本物の海の音、本物の踊り、本物の言葉や歌はどこかにある。それはただ、聞かれたり見られたりするのをじっとどこかで待っている。私がそこへ辿り着くのを待つともなく待っている。
本物の海の音は聴いたことはないかも知れないけれど、優れた映画を観たときにその音を聴いたように思えたことがある、と私は、私としてはめずらしく長い間黙った後に言った。女は素直に、ぜひその映画を流している小屋に私を連れていって欲しい、と可愛くせがんだ。(中編小説「穴よ、海よ」より抜粋)

白菜の海で

土の恩恵を存分に受け、そこに根ざしながら空高く飛ぶ術を知っているハトのようなひとりの農夫が私の町には住んでいる。巣に返ってきたハトを迎えるとき、うまくなった農作物を前にするとき、今まさに舞の途中であるといった笑いを彼は顔に浮かべる。土地と空とは、それぞれがそれぞれを映した鏡像だ、ということを鳥が空を通して知っているように、ハトをやる農夫は土を通して知っている。何百キロ飛んで返ってきたハトを見るとそれがどんな旅だったのか全てわかる、と言う土に活かされ空を知る彼こそが、空と土地の間にある一枚の鏡なのかもしれない。 (「ハトを、飛ばす」本文より抜粋)

音の孤独

老舗のデパートの外壁を色取る国旗が風を受けてへんぽんと翻っている。ホシムクドリの体に浮かんでいる星が小さな四角い青空にも同じように散らばっている。動きをもらった赤い直線のストライプが、静かに眠る森の住人を煽っている。

祖父は、静かにこう話し始めた。まるでそこが戦場で、私が敵に見つかってしまうことを怖れているかのように。

「私はいつ死んでしまうかわからないから、このことだけは話しておきたいとずっと思っていたんだよ」(『ハトを、飛ばす』本文より「音の孤独」)

祖父が語った戦争の記憶は、私の側の言葉とは分離して、語られたときのまま、国旗を揺らす風の届かぬ底に今も沈んだままでいます。