『家』

水屋/冬

 

 

 

 

本棚

 

積み木の家/春

 

仕口

 

 

『家について』

湿気を多分に含んだ森の中に、私は、大工となって二つの家を建てました。森も森ですから、まずは家を建てるために杉やヒノキを切り倒し、ひとつは9坪ほどの高床式住居、そしてもうひとつは地場の杉の角材を積んだだけの私たち家族が積み木の家と呼ぶアトリエを建てました。

私は建築家でもありますから、これまでにも多数の図面を書いてきましたが、自分の家をつくる際、頭と身体との感覚の距離をはかるために極力絵を描くのをやめました。材料を拾う用途に平面図1枚と高さを出した断面図1枚に限り、あとは身体まかせで若い大工さんとふたり建てたのです。

家は呪術的な意味合いで、わたくし、の生命を守るためのものである、と内田繁さんはおっしゃっていたけれど、そういった目に見えないものを感じたいという願望は一方であるとしても、現代に生きる私にとって私の家は、単純に雨風をしのぎ、家族や生活を守る、モノ、であればいいという気持ちです。震度6弱の地震と、竜巻をもその家の中で耐えた今となっては、もうこれで十分じゃないのかな、っていう感慨が深まっています。もちろん、私の子供やその子供達 がそれらの意志で私の家を大切に使いたいと思ってくれればそれほど嬉しいことはないですが、百年住宅などと言うことの現実味が私にはありません。こんな家はいらないと思われて、それなのに、大地にしがみつくように醜い基礎を地面に残すのは、私の家の役割ではないように思えるのです。過ぎればさらりともとの山へと形を返してあげることができる、これが私の、理想の家の置き方です。家族があり、その少し先に家がある。そう思えるくらいの大きさで、家はいいように思うのです。

これはあくまでも私の考えです。私よりも先に自力で家を建てた友人の家はもっとおおらかで大陸的なあり方をしています。私の子供は、その家をうらやましがっています。それならば君はそういう家を建てたらいい、と私は言います。濱田庄司邸は、職人やら茅葺きやらそういった時代を含むものとして、存在しています。こういう多様な生活の共存こそが文化の力となると思います。益子には様々な様子の家があり、私はその磁場に引き寄せられてここに住んでいます。

私と私の家族は、森の中の湿気の中でかろうじて建っている程度の貧相な家に住んでいます。このすべてを飲み込む湿度に寄り添うように建つ私の家が、私は好きです。繰り返しますが、家族があり、その少し先に家がある。そしてさらにその先に、私の場合は森があります。ときおり私には、家に住んでいるというよりもその家を含む森に住んでいるという感覚が際立つことがあります。冬には不慣れだったうぐいすも、春にはとても上手に鳴きます。冬には枯れていた川が、春先雨が降ると蘇ります。この森の先に町が感じられるっていうのが、健康なんじゃないかなって思います。町は、その程度でいいんだと思います。

家プロジェクト(自邸)
土地をありのまま山に返す「水屋」
身体との関係を考察した「積み木の家」

所在地:栃木県芳賀郡益子町
大工:町田泰彦、高田英明