干す人

本州の最北の地で海藻を干す人と小屋(大間、2017)

あいだの上映

もともとあちらこちら移動していた私には、益子に腰を据えるようになった今もマレビトとしての自分を意識することがあります。その私が、益子の映画を持参して地方に行くということは、どういうことなのか

星ヶ丘洋裁学校での七夕上映を経て、仏生山と神山の上映へとたどり着いたこと、とても嬉しく思っております。仏と神、そういうことの線引きがあることを受け入れつつそのどちらも選択せずに前に進む、というのが私の歩きかたなのだと思います。当日そういうお話しができたらいいなぁ、と思っています

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賽の河原

最果ての賽の河原(恐山、2017)

態度表明

方丈記私記[平成]No.005

統治権力の中心が朝廷から武家へと劇的に移行した鴨長明の時代は、地震、大火、竜巻、飢饉などの災害も頻発し、政治における猟官運動、神官や僧侶の地位争い、さらには法然、親鸞、日蓮らに対して行われた思想弾圧に至まで、今よりも絶望的な状況だったと言えばそうかもしれない。しかし、混乱という意味では、現代もそうとうなものだ。長明は、数々の災害現場を目の当たりに(経験)したが、原子力発電所の爆発およびその放射能被害は当然の如くに経験していない。つまり、われわれは、長明が経験していないしごく現代的な問題にぶちあたっているわけであり、きっとこれからも、あたらしい災害/人災にぶちあたり続けるであろう

けれども、長明(鎌倉)や堀田善衛(昭和)の時代とともに共通したこととして、混乱を引き起こした政治が結果責任を問われそれに対して自らケジメをつけるということは一つもしたためしがなく、この度の原発事故についてもそうであった。そして、それを許し続けている、われわれ、が過去にも現在にもいる。堀田氏はこのことといわゆる「無常観」とはなんの関係もないことであるとしつつ、われわれを根底から捉えて離さない無常なる感覚は十二分に政治利用されてきたことを指摘したし、今も、そのことに変わりはないだろう

私が、映画「益子方丈記」の製作を通してやりたかったことといえば、もちろん、「わたし」という主体を表出させることではなかったし、ましてや「方丈記」における「無常観」の側面を強調したかったのでもなかった。堀田の言葉を借りれば「われわれの思想生活の根源に生きて横たわっているものをともにえぐり出して見る」ためであり、そして、戦争に負けて期待された「あたらしい日本(堀田)」の実現が遠の昔に挫折した今となって、長明のように田舎へ籠り自己一身に絞って庵を結ぶのでもなく、なにか数段飛び越えて「みんなの家」なるものを被災地に建設するのでもなく(このように書くと、どうも日本人的な感情として私がそれらを否定しているかのように捉えられがちだけれども、そのつもりはない)むしろ、われわれの骨の髄にまで食い込んでいる無常なる感覚に「わたし」の中でしっかりと向き合いつつ、あたらしい「あたらしい日本」ではなく、あたらしい「われわれ」が生起してくるのを(長明が持ち得なかった)「眼」と「耳」を携えて、待っている、という態度をひとまずは表明することであった

トーテムポール

色あせたトーテムポール(本宮、2016)

言葉の中

方丈記私記[平成]No.004

震災後、床に散らばった本ひとつひとつを本棚に入れなおしたけれどもしばらくはちっとも読む気がしなくって、けれどもふと背表紙が光って感じられた7月、久しぶりに手に取って読み始めた本が森有正のだった。リハビリをするようにたどたどしくも指でなぞりながら読み進めたその69ページ目に「われわれの」と呼ぶことができる言葉がそこにあった。私はのこのことこの言葉を求め探し歩いたのではなく、そもそもに、この言葉の中で立ちすくんでいたのだ

この間、あるフランスの若い女性が尋ねて来た。大学内ゴルフ場内のレストランへ案内して話をした。緑にかこまれた食堂では、何人かの人々が静かに食事をしていた。生粋のパリ育ちのこの女性は数年間を日本で過したのである。私達はよも山の話をしていたが、やがて話は日本における生活、ことに東京の生活のことになった。どういう話のきっかけだったか忘れたが、というのはその時かの女が言ったことばに衝撃をうけて、何の話の中でそうなったのかよく記憶していない。かの女は急に頭をあげて、殆ど一人言のように言った。「 第三発目の原子爆弾はまた日本の上へ落ちると思います。」とっさのことで私はすぐには何も答えなかったが、しばらくしても私はその言葉を否定することが出来なかった。それは私自身第三発目が日本へ落ちるだろうと信じていたからではない。ただ私は、このうら若い外人の女性が、何百、何千の外人が日本で暮らしていて感じていて口に出さないでいることを口に出してしまったのだということが余りにもはっきり分かったからである。かの女は政治的関心はなく、読書も趣味も友人も、ごく当り前の娘さんである。まして人種的偏見なぞ皆無である。感じたままを衝動的に口にしただけなのである。
胸を掻きむしりたくなるようなことがこの日本で起こり、そして進行しているのである。
かの女がそう言ったあと、私は放心したように。大学構内の木々が日の光を浴びて輝くのを眺めていた。 (『木々は光を浴びて』森有正)

この言葉が書かれたのは1970年の11月。本を手にした私の心臓がばくばく鳴って足が震えたのが2011年の7月。そして、まさに、胸をかきむしりたくなるようなことがこの日本で起こり、そして進行しているのである。われわれはそのことをつかの間、忘れていただけなのだ

存在

互いに存在することを許しあうだけの関係(笠間、2016)

東京の記憶

暑い夏の東京の記憶(根津、2015)

no where

どこでもないドア(高花、2017)

七夕祭

●日時:2017年7月7日 金曜日 12:00〜19:00頃 雨天決行

●場所:星ヶ丘洋裁学校
〒573-0013 大阪府枚方市星丘2-11-18
京阪電車枚方市駅で京阪交野線に乗換「星ヶ丘駅」下車 徒歩3分
※公共交通機関でのご来場、ご協力お願いします。

●上映会・演奏・対話の会ご予約・お問い合わせ
E-Mail:info@sewing-g.comソーイングギャラリー 原田)
Tel: 072-840-2476

●料金:3,000円(予約優先)

【TIME TABLE】
・16:00 開場
・16:30-17:00 ライブ「紡ぎの演奏会」青木隼人
・17:10-18:20 七夕上映会 「ハトを、飛ばす」町田泰彦
・18:20-18:50 dialogue「星々の言葉に耳を澄ませる」 松井雄一郎
・18:50-19:00「キャンドルナイト」河合悠・青木隼人

詳細>http://hoshigaokagakuen.net/tanabata2017/

置場

身の置場(2016、益子)

揺れ

方丈記私記[平成]No.003

東日本大震災が起きたそのとき、私は、文字通り揺れのまっただ中にいたからどこが震源地なのかと東を向くことも西を向くことも頭に浮かばず、ただただ、建てたばかりの家が崩れぬことを身体から絞り出すような気持ちで祈った、その祈ったという感情を、今のことのように思い出す

あの日、妻の腕の中には1歳かそこらの幼子がいて、その姉は保育園に行ったまま姿はなかった。揺れは何分か続き、おさまったと思ったらまた大きく揺れること数回、幾度そんなことが繰り返されただろうか、外に置いてあったテーブルが割れた地面へと吸い込まれていく様や、木々が揺らされ巻き上げられた花粉が空を不気味な色に染めていく様を半ば他人事のように眺めながら、ただただ、建てたばかりの家が崩れぬことを祈った

今、ここが揺れている、、、他でもなくここが揺れているというのはどうしたって「わたくしごと」になるのだろう。けれども、想像を越えた力が地面を動かしているのを目の当たりにすると、事が「わたし」の事であると根拠づけるはずの私の身体の小ささが強調されてしまって目の前で起きているほとんどの事が、私事ではない他人事として感じられてしまう

自然の声が聞こえる、万物と私とに境はなく全て一体である、と言ってしまえる可能性に対する日々の疑いのなか、地球という惑星の上で木も土も家も私も等しく揺れ踊っているという全体性を伴った他人事のような感覚は、どこからやって来たのか。しかし、であれば、激しい揺れのなか、他人事のように笑けてしまう揺れのなか、一神教を信ずるわけでもない私が自己中心的に祈った対象として私ひとりの神はどこからやって来たのか、祈った「私」はどこから来たのか

あの日に感じた私と「わたし」、世界と「せかい」とのズレが、今、とても気になる

さて、私もあなたも感じた揺れ、そして揺れた事との物理的な距離は、客観的に以下のように整理されている

2011年3月11日に起きた東日本大震災の震源地は三陸沖であり、マグニチュードは9.0。最大震度は宮城県の栗原市築館で7、遠くはなれた鹿児島県でも震度1を記録。そして、<主だった>地域の震度は以下の通り

6強:宮城県塩竈市、福島県国見市、茨城県日立市、栃木県真岡市。6弱:宮城県石巻市、福島県郡山市、茨城県常陸太田市、栃木県芳賀町、岩手県一関市、群馬県桐生市、埼玉県宮代町、千葉県成田市。5強:宮城県気仙沼市、福島県白河市、茨城県常陸大宮市、栃木県益子町、岩手県釜石市、群馬県高崎市、埼玉県熊谷市、千葉県香取市、青森県八戸市、秋田県秋田市、山形県米沢市、東京都荒川区、神奈川県横浜市、山梨県忍野村、、、、、(気象庁HPより抜粋)

めくらのハト

未知のものへと放たれためくらのハトの一群だ(ロルカ詩集「新しい歌」/長谷川四郎訳)

3

3(小山、2016)

経験

方丈記私記[平成]No.002

「私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、われわれの古典の一つである鴨長明『方丈記』の鑑賞でも、また、解釈でもない。それは、私の、経験なのだ」(堀田善衛「方丈記私記」)

この文章を堀田善衛は「方丈記私記」の頭に置いた。私も、そのままこう書いておく

私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、鴨長明「方丈記」もしくは堀田善衛「方丈記私記」の鑑賞でも、また、解釈でもない。それは、私の、経験なのだ

さて、なぜ今「方丈記/方丈記私記」なのか。そんなことはわからない、というのがその答えだけれど、そもそも東日本大震災が起きてから「方丈記」が気になり始めたわけではなくて、「方丈記」の映画化は、映画「ハトを、飛ばす」と同様に東日本大震災の前から考えていたことなのだ。つまり、「ハトを、飛ばす」と「方丈記」のことをつらつらと考えている最中に、私は、東日本大震災を経験した

私が経験した東日本大震災の前に、私を含めたわれわれが経験した東日本大震災のことをまずは記載する

平成23年に起きた東北地方太平洋沖を震源とする地震のことを、現在ではおおむね東日本大震災と呼んでいる。発生した月日から311と呼ぶこともある。アメリカで起きた同時多発テロが911と呼ばれたことに起因していると思われるが、これは、この事件が人々の脳裏にひどくこびりつていることを物語るだけなのかもしれないけれど、地震によって誘発された原発事故という人災の側面と重ねられている可能性もある

被害を数字で計ることはもともと難しいことである。遺体や行方不明者の数を数えるか、倒壊した建物の数を数えるか、それくらいのやりかたしか思い当たらないのは私も一緒である。その数、警視庁の平成29年6月の発表で死者15,894人、行方不明2,550人、負傷者6,156人、建物の全壊121,770戸、半壊280,286戸、全焼半焼合わせて297戸、浸水した建物13,583戸。平成24年2月、つまり震災からほぼ1年が経った時の警視庁の発表で死者と行方不明をあわせて19,131人。現在の発表の18,444人と較べ700人ほどの開がある

避難生活によるストレス死を含む震災関連死という言葉があって、その数は、復興庁の発表によると平成29年6月の段階で3,591人。さらに原発の被害に限っていうと平成28年3月の東京新聞による集計では1,368人。警視庁の調査で死者行方不明者の数が年々増えてゆくのならわかるけれども、減っていることの意味は私にはよくわからない。扱っている対象が違う恐れがある。さらに、復興庁の数字に原発事故の関連死が含まれているのかはわからない。放射能の影響による健康被害を国はほとんど認めていないので、それをどのようにこれから計っていったらいいのか、私には今のところ皆目見当がつかない

ある側面で、被害は被害者が語るしかないのかもしれない。時にそれは長い時間の沈黙となって現れる死者の声も含めてなのだが、被害者が被害を語ることを許すということが「わたし」と「あなた」との間において実践されてゆくことが、私は、大切だと思う。それを許す「わたし」と「あなた」との関係を「われわれ」と呼ぶのだと思う

内の内

内側の内側(大玉村、2016)

赤と黄と(2)

赤と黄と(本宮、2016)

赤と黄と

赤と黄と(仏生山、2017)

ホイホイホイ

方丈記私記[平成]No.001

2011年の震災の頃のことを思い返すと、真っ暗な夜空に輝く星の光がまず思い浮かぶ。たぶん、数日後に原発がどかんとなった際に感じたあの底なしの恐ろしさの対比として、あの星がよけいに記憶の中でまばゆくひかるのだと思う。映画『ハトを、飛ばす』を撮ることは震災前から決まっていたけれど、撮影が開始され、そして映画がどうにもこうにもとりあえず完成したのは、その光と、その得体の知れない恐ろしさがいつまでも私の中にしつこく残っていたからだと思う。

また、ミチカケにも書き下ろした『サンコウチョウ』という文章もまた、同じようにその光と、その得体の知れない恐ろしさから発生したように思う。

恋するあの子のうしろに落とした尾が地面にそのままで、こころ踊って舞を舞う。暗闇の中から飛び出して、ホイ、ホイ、ホイ、夜空に散らばる星となり、百万年後の光源のことなどつゆ知らず。暗イウチハマダ滅亡セヌのなら、目を閉じることにも価値はある。目を閉じると闇がある。一周ぐるりとまわって触れたかったあの子の肩が、その闇にある。その闇のなか、長い長い尾が限度もなく落ち続けている。その落ちた尾を追う者はない。(ミチカケ/土と土が出会うところ/サンコウチョウからの引用)

「差異」が表現を可能としてくれるのだとしたら、あの光と、あの得体の知れない恐ろしさは確かに平和な日常からずっとずっとかけ離れていた。

けれども、表現するに値する差異は、日々平々凡々に繰り返される毎日にも溢れている。鳥が「ツキヒーホシホイホイホイ」と鳴くんだよと益子の陶芸家が教えてくれて、実際に、その鳥がツキヒーホシホイホイホイと鳴いているのを聴き、鳥は私のなかでサンコウチョウという名を与えられた。今まで聴こえていなかったその鳴き声が私のものとなると、私の家の森でも、時折鳴いていることに気がつくものなのだ。

差異はそこかしこにあって、つまりは「そこ」に意識を合わせるのかどうかということなのか。いや、私という実体と対象という実体があってそこに交感があれば(実体と実体が出会えば交感は無条件でうまれる)差異は関係ないとも思えてくる。意識されるのを待っている「それ」が無意識だとして、「それ」を意識して抑圧から自由になるために脹らませる必要があるのが自我なのだとすれば、「それ」などもともと取るに足らない、ということにならないか。ツキヒーホシホイホイホイ、「それ」が意識されるよりも先に音がある、そう思う

みちくさ

みちくさ(岳温泉、2016)

シネマ・アミーゴ

日時:2017年2月11日(土)オープン12:30/スタート13:00

会場:CINEMA AMIGO
249-0007 神奈川県逗子市新宿1-5-14

第一部:上映会
料金:1,500円 + order one drink

第二部:懇親会
料金:2,500円 + order one drink

申し込みはこちらから

謹賀新年

あけましておめでとうございます
本年度もよろしくお願いします

南向き

2016061904

南向き(石岡、2016)

アメリカンフラワー

2016061906

アメリカンフラワー(下仁田、2016)

青と緑と

2016061907

青と緑と(佐久、2016)

壁/影

2016061903

ピンクの壁(益子、2016)

エコール・ド・タカハシ

2016061910

高橋恭司さんが主催する写真勉強会「エコール・ド・タカハシ」に度々参加させていただいています。参加者各自、恭司さんと一緒に町を歩きながら写真を撮って、次回の勉強会で発表するという形式なのですが、それを複数回重ねると、自覚的に少しずつ「わたくし」を横滑りさせたり左右上下に振ってみたりすることができるようになります。小さな差異に対する感度を上げていくことができる貴重なワークショップです

夏の残像

2016061902

夏の残像(益子、2016)

白い部屋から黒い部屋へ

2016090601

「旅の追憶」への追憶の旅/マヤ・デレン

旅の追憶

2016090602

「旅の追憶」への追憶の旅/切り株