Archives for the ‘撮影現場’ Category

クランクアップ

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映画「ハトを、飛ばす」がクランクアップしました。震災直後の4月5日にクランクインしたのでまるまる4年の歳月がかかりました。寝床で「そうだ、 ハトだ!」とひらめいたのが震災前の12月。なんでハトなのか分からないまま映画の準備をしつつ、地震が起きて原発がぶっ飛び、ほうれん草が出荷停止に なっていた山崎さんの一言からクランクインすることに

「まっちー、映画撮るっぺよ」

そうだ、撮ろう!とカメラをまわし始め、どうしてハトだったのかが時間が経つにつれてじんわりと分かってきたのでした。ハトは、風の道を飛んで巣へと帰ってく るのですが、風の道はまた放射能が拡散した道でもありました。と同時に、私を東北へと導いた道でもありました。私の中の日本地図は汚染マップとにらめっ こすることで極端に小さくなったけれど、ひとと出会うことでその地図は密度を増しました

写真は最後の演技「おーい」と向かい側の丘に立つKさんに手を振るところ(R60)

千年杉

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海岸沿いの国道6号、真ん中を走る国道4号、そのどちらでもない「あわい」の空間をルート5と呼んでみる。ここは遠野、新しい土地(オン・ザ・ロード/ルート5)

落ち葉さらい

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歳くったら一個百円とかの仕事じゃなくって山でも奇麗にしたいなぁ、そうつぶやく山崎のお父さん。原発事故後、断念していた落ち葉さらいを再開するべきか迷いは続く

野火

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ホイホイホイ、と火を追うひとびと(オン・ザ・ロード/ルート4)

作業

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毎日の光景

収穫

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今年もこの季節か、という風に考えることもあるけれど、毎回毎回、なんとかここまで来ることができた、というほうが気持ちに正直な感想です

浜吉田

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ハトを無事に家に返すひとつの力となるのが、愛、だといいます。「家に(のっけてくれる)かーちゃんが待ってくれていると思うと誰だって帰りたくなるだっぺ」とは山崎さんの弁。寄り添いながら身を守り、寄り添いながらよりよい生き方を考えるのが、種のとってきた道なのかな。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

決戦前夜

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「明日、旅立つのに何も知らずに」と思うこちら側の私とあちら側のきみ。しかし、あちら側のきみには確実に、こちら側の私が、含まれている。

あるわけない

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去年あった風景だからといって、今年それがあるとは限らない。いや、去年あった風景だから、今年なんかにそんなの、あるわけない。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

里の舞い

本物の海の音、本物の踊り、本物の言葉や歌はどこかにある。それはただ、聞かれたり見られたりするのをじっとどこかで待っている。私がそこへ辿り着くのを待つともなく待っている。
本物の海の音は聴いたことはないかも知れないけれど、優れた映画を観たときにその音を聴いたように思えたことがある、と私は、私としてはめずらしく長い間黙った後に言った。女は素直に、ぜひその映画を流している小屋に私を連れていって欲しい、と可愛くせがんだ。(中編小説「穴よ、海よ」より抜粋)

バイクで歩く

益子の方言かどうかは知らないけれど、こちらのひとは自動車を使ってどこかへ行くとき「ちょっと歩いてまわる」と言う。この日の山崎さん、用事を済ませにバイクを使って歩いてKさん宅へいった。その歩き方、根無し草の私なんかよりもずいぶん身軽だと思った。

お見合い

空と大地が出会うところである、屋根。空に一番近い場所で建築に携わる茅葺き(板金)職人さんですが、ここは、もっとも足下を気にする場所でもあります。一日乗っていると、大地の平らさがとても意識されるんですよね。

大沼

冬を越してシベリアのお家へと帰ってゆく白鳥たちの飛来地を空から目撃したとしたなら、ハトは、なんと思うのか。飛び立ったばかりだから休みたくなる気持ちを抑えるまでもないかもしれないけれど、「寄り道もありだね」なんて気持ちがどこかに貯蔵されて、苦しい道中にふと思い出すこともあるよね。(オン・ザ・ロード/ Route H)

気仙沼湾

幼い頃、湾を見下ろす高台に住んでいたことがあったので、こういう風景にはこころが落ち着く。湾は、生活を優しく包んでいる、ということを可視化しているようでもある。湾がそれほどいいのは、ぐるっとまわったその先にもひとの生活があるということが見えること、けれども、そこまでにはそれなりの距離があって、すぐにはたどり着けないということが双方に知れていること。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

氷雪荘

雲はまだ重く厚くそらを覆っている。太陽の位置がハトにわからなければ、帰る方向も見えてこない。私はうかつにも、ハトを放つ地点にいる者は「いっちまえ」と軽い気持ちでいるのかと思っていました。もし、放鳩のシーンを軽々しく見ることができていたとしたら、その過ちに気がつかなかったかもしれません。(オン・ザ・ロード/ Route H)

稚内港

オン・ザ・ロード/Route H(北海道)

北海道は稚内から関東に向けて飛ばすレースを「グランプリ」と呼び、国内では最高峰となります。帰還率1割を満たすかどうかの厳しいその行程を想像しながら、風向きや雲の厚さ、太陽の向きなどの飛行環境もまた想像し、落ちていくハトの耐力のことをも想像する。どこで夜を過ごすのか、その暗闇や暗闇の中でそびえる山々をまるで見ているかのようにして、ハトが放たれる瞬間を待つ者がいます。

福伏の船

船が沖をむいている。いつもだったら頭の中で気軽にお尻を押して船を海面に滑らせるのに、それがためらわれる。それでも、やはり船は船だから、僕は、船をすーっと音もなく船出させる。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

風景を前に

去年の今頃、陸か空かも混乱するようなこの景色を前に、自分は陸に住むひととして文を綴る覚悟ができているのか自問したけれど、今もまだ自答のさなか。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

蕉島

鳥は、もちろん空を飛んだり、優雅な姿勢で休んだり、顔を羽の間に埋めて寝込んだり、それこそ重なって男女のことをやったり、物思いに耽ったり。こちらの都合で優雅な姿で飛んでいるのが普通だって思っているけれど、まさにさまざまなことを、さまざまな時間帯に、それこそ三次元的にやってらっしゃるようです。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

六ヶ所村

うぉんうぉんとうねるプロペラ。風の向きを知らせてくれる屋根に乗った風見鶏を見るように軽々しく見ることはできないけれど、自然と対峙している人間の無力さが、風のあるなしが見える以上に見えてくる。無力だ、ということはいいことです。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

鷹架沼

撮影している私の足下の崖を、カモシカが走り去っていった。話によると、エゾシカが北海道から津軽海峡を泳いで青森側まで渡ってきているそうです。つぎは、海峡を渡ったエゾシカに会ってみたい。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

もの食うひとびと

雪消えぬしんしんと冷える広大な農場を横断する送電線。その送電線の先にはもの食う私たちの生活がある。わんわんわん、農場の犬の鳴き声が寒さの中それでも暖かく感じられる。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

青森港から沿岸ルート

オン・ザ・ロード/Route 6(沿岸)

山が険しく環境が厳しくとも直線的に内陸部を飛ぶハトも入れば、それを回避するようにして海岸ルートを飛ぶハトもいます。空に決まったルートがないのとは逆に、狭く不自由な陸地の旅を続けます、空に開かれた自由で厳しい路を思いつつ。

観音寺

青森湾と陸奥湾との境にある神社脇の小山にあるお堂。ここで幾人のひとが、待ち人を安全に返してくださいと祈ったでしょう。そんな人たちの手に添えるような思いで、私は、私の二つの手を合わせました。(オン・ザ・ロード/ Route 4)

浅虫

ハトは、青森も北部の大畑という地点から放たれる予定だった。山崎さんやKさんらと待ち構えるべきポイントは話し合ってはいたけれど、とにかく現場にいって考えるつもりで、青森湾から野辺地湾へ4号を走った。益子の雪はとうの昔に溶けてなくなっているのに、青森は、まだ風が冷たく、撮影のために外へと出るとすぐに手がかじかんだ。この土地に住むということを選んだ人をただただすごいと思うのは、外から来たひとの勝手だろう、ここにもやはり、根付いた生活がある。(オン・ザ・ロード/ Route 4)

青森湾

船が陸地と繋がっている。凪いだ海の上に浮かぶ一層の船、その船に意識がいくというよりも、そのロープの細さ、が際立つ。そう思うのは、実は目の前の凪いだ海よりもどこかで荒れている海が意識されているから。(オン・ザ・ロード/ Route 4)

青森港から内陸ルート

オン・ザ・ロード/ Route 4(内陸)

既にハトレースの放鳩地点が北海道へとのびています。ハトが関東へと飛ぶルートは天候にも左右されるので様々ですが、大きくわけると内陸と沿岸のふたつのようです。空に決まったルートはありませんが、空に開かれた風の路を思いつつ、私は、私の陸地の旅をスタートさせます。

愛の巣箱

「優秀な種バトっていうのはよく飛んだ鳥ってことではないんだっぺ、つまりはよ、よく飛ぶ鳥を生むハトが優秀な種バトってことだっぺ」去年の今頃はまだハトをただただ気持ちよさから飛ばしていた山崎さん。私などには計り知れない今の心境を、うまく飛ばないハトが物語っているかのようです。それでも、悲しみを重ねる度に飛ばしたくなるのがハトなのかも。ひな祭りの今日、「町田さんのハトをペアリングするだっぺ」といって、合計4羽の美しいハトを巣箱へと移してくださいました。

種バト

昨年の春には100羽近くに増えたハトも、今では天敵に襲われたりふらっと失踪したりして30羽いるかいないか。しかし、なんとか僕のハトは巣箱へと毎日の飛行から帰ってくる。昨日、「このハトを種バトにするか」そうおもむろに山崎さんに提案され、「はい」と僕。今度の春、レースを飛ばずに子孫を残すことになった白いハト。稚内レースから巣箱目指して帰ってくることもそうだけれど、それだってまた、遠い道のりに思える。

待つこと

待つことに終わりはないなって、つくづく思います。今日蒔いた種が明日実を成らすことはないけれど、繰り返される毎日の中で、その瞬間を待ちながら誠意をもって「今」を生きていると、気がつけば技術は向上し、そして、気がつけば生活が向上している。待つ、ということ、待つという環境を整えていくということにこそ生活の基礎がある、そのことを、この一年で、痛感しました。