赤と黄と

赤と黄と(仏生山、2017)

ホイホイホイ

方丈記私記[平成]No.001

2011年の震災の頃のことを思い返すと、真っ暗な夜空に輝く星の光がまず思い浮かぶ。たぶん、数日後に原発がどかんとなった際に感じたあの底なしの恐ろしさの対比として、あの星がよけいに記憶の中でまばゆくひかるのだと思う。映画『ハトを、飛ばす』を撮ることは震災前から決まっていたけれど、撮影が開始され、そして映画がどうにもこうにもとりあえず完成したのは、その光と、その得体の知れない恐ろしさがいつまでも私の中にしつこく残っていたからだと思う。

また、ミチカケにも書き下ろした『サンコウチョウ』という文章もまた、同じようにその光と、その得体の知れない恐ろしさから発生したように思う。

恋するあの子のうしろに落とした尾が地面にそのままで、こころ踊って舞を舞う。暗闇の中から飛び出して、ホイ、ホイ、ホイ、夜空に散らばる星となり、百万年後の光源のことなどつゆ知らず。暗イウチハマダ滅亡セヌのなら、目を閉じることにも価値はある。目を閉じると闇がある。一周ぐるりとまわって触れたかったあの子の肩が、その闇にある。その闇のなか、長い長い尾が限度もなく落ち続けている。その落ちた尾を追う者はない。(ミチカケ/土と土が出会うところ/サンコウチョウからの引用)

「差異」が表現を可能としてくれるのだとしたら、あの光と、あの得体の知れない恐ろしさは確かに平和な日常からずっとずっとかけ離れていた。

けれども、表現するに値する差異は、日々平々凡々に繰り返される毎日にも溢れている。鳥が「ツキヒーホシホイホイホイ」と鳴くんだよと益子の陶芸家が教えてくれて、実際に、その鳥がツキヒーホシホイホイホイと鳴いているのを聴き、鳥は私のなかでサンコウチョウという名を与えられた。今まで聴こえていなかったその鳴き声が私のものとなると、私の家の森でも、時折鳴いていることに気がつくものなのだ。

差異はそこかしこにあって、つまりは「そこ」に意識を合わせるのかどうかということなのか。いや、私という実体と対象という実体があってそこに交感があれば(実体と実体が出会えば交感は無条件でうまれる)差異は関係ないとも思えてくる。意識されるのを待っている「それ」が無意識だとして、「それ」を意識して抑圧から自由になるために脹らませる必要があるのが自我なのだとすれば、「それ」などもともと取るに足らない、ということにならないか。ツキヒーホシホイホイホイ、「それ」が意識されるよりも先に音がある、そう思う

みちくさ

みちくさ(岳温泉、2016)

シネマ・アミーゴ

日時:2017年2月11日(土)オープン12:30/スタート13:00

会場:CINEMA AMIGO
249-0007 神奈川県逗子市新宿1-5-14

第一部:上映会
料金:1,500円 + order one drink

第二部:懇親会
料金:2,500円 + order one drink

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謹賀新年

あけましておめでとうございます
本年度もよろしくお願いします

南向き

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南向き(石岡、2016)

アメリカンフラワー

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アメリカンフラワー(下仁田、2016)

青と緑と

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青と緑と(佐久、2016)

壁/影

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ピンクの壁(益子、2016)

エコール・ド・タカハシ

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高橋恭司さんが主催する写真勉強会「エコール・ド・タカハシ」に度々参加させていただいています。参加者各自、恭司さんと一緒に町を歩きながら写真を撮って、次回の勉強会で発表するという形式なのですが、それを複数回重ねると、自覚的に少しずつ「わたくし」を横滑りさせたり左右上下に振ってみたりすることができるようになります。小さな差異に対する感度を上げていくことができる貴重なワークショップです

夏の残像

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夏の残像(益子、2016)

白い部屋から黒い部屋へ

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「旅の追憶」への追憶の旅/マヤ・デレン

旅の追憶

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「旅の追憶」への追憶の旅/切り株

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穴はどこにでもあって、穴をあるものとすることができれば、その穴はぱかりと開かれる

気配

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風が気配を運んでくるのか、気配が風を運んでくるのか(下仁田、2016)

コンポジション

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stilllife+gift_labo企画『島影巡りー音と光と気配による三夜ー』の最終夜に池田泰教さんの「3 PORTRAITS and JUNE NIGHT」が上映される。終了後の「ドキュメンタリーとコンポジション」という内容のトークに参加する

不自由

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自分は写真家ではないから写真が自由なのかというとけしてそうではなくって、とても不自由で、その自由を手に入れた者が写真家と呼ばれるようになるのだと思うけれど、、、、(益子,2016)

聖地

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15年ぶりに訪れる聖地は、15年の月日をどう飲み込んだのだろうか

光り

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光りがあるその先へ

黒猫白猫

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ミチカケ連載『土と土が出会うところ』
第6回目「黒猫のようなもの、白猫のようなもの」

根っこをいじっているからか、どこかみんな、なんとなく、ふかふかとふわふわとしていて、柔らかかった。そう、震災と原発事故を経たこの時期、私のまわりのだれもがなんとなくとふわふわしていた。それに伴い当然に双方を含んだ空気も、ゆらゆらと、揺れていた。けれどもそれは不確かなものを確かなものと偽っていた頃の揺れとは違い、何もないところから何かが始まるときの革新的なゆらぎだった、ときっと数年経って振り返ればそうだった、と言われるもののようにその時の私には思えたし、今もそう思っている。(一部抜粋)

空/家/大地

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空と大地を繋ぐもの(沖縄、2015)

gift_labo

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第一回目上映@gift_labo/清澄白河(写真提供:gift_labo)

馬搬

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こうやって少しずつ風景がつくられていく

氷面

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氷面(宮守、2016)

謹賀新年

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昨年は、土祭などでいろいろな方にご協力頂いたりしまして、とてもお世話になりました。今年は各地で映画の上映があるかと思います。どこかでお会いできるとうれしいです。本年度もどうぞよろしくお願いします

森の廃墟

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廃墟の森(遠野、2015)

冬が来る

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大好きな冬が来る
停滞しててもいい、冬が来る

表層

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ひとの生活を含んだことのある家(北鎌倉、2001)

望月

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ひとに会いに度々訪れる町がある(望月、2015)

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墓(台北、2007)