Archives for the ‘写真’ Category

音の孤独

2014063001

か細い棒切れに結ばれた赤い布があちらこちらで風を受け、へんぽんと翻っている。揺れる布は、こんにちは、そんな風に言っているようでもあるし、さようなら、そんな風に言っているようでもある。こんにちはとさようなら、その両の手に掴まれて身動きが取れなくならないよう、できるだけ私情を挟まずにぽっぽぽっぽとハトのような返事をする(ハト本短編第四集『笑い』より抜粋)

梅雨

2014062301

花がてっぺんに来たら梅雨があけるんだよ、そうおばあちゃんに教えてもらったという記憶はないけれども、そう、おばあちゃんが言っている気がする

パールフジ

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富士に沈んでゆく満月の中のうさぎは、てきとうにてきとうに、と白さの中でお酒をくらっていました

意志

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住むという意志が崖にへばりついている(バルパライソ、2009)

気配

2014032901

椿の前 ふたりの少女 こんにちは

綱神社

ひとが目で感じて捉えている世界は、世界のほんの一部でしかないということを、ここ尾羽の里にある綱神社に展開した川崎義博さんのサウンドインスタレーション作品で確認しましたが、サウンド、といわれると耳のことのように思われるかもしれません。しかし、耳が感じていることもまた、ひとが感じていることの一部でしかないでしょう。それじゃあ、五感で感じればそれが世界の全てなのかというと、そうじゃない、まさにそのことに気づかせてくれるのが、川崎作品の魔術なのです。

どきっとする

カラスは、かーかーか、と鳴くだけで私をどきっとさせてくれるありがたい存在です。黒いということにすごさがある気がします。

石釜(福岡)の棚田

これだけ奇麗な棚田を石で作るのは、ただ、この地域に石がたくさん出てきたからだと思うのだけれど、それでも、これだけ石を奇麗に積もうと思うのは、やっぱりひとの性(さが)なのかな。でも、石を奇麗に積み上げたいという性は、現代というつまらない時代にあっては割にあうわけもなく、煙のように環境に溶け、今では消えてしまった後でしょう。ただ、その性もまたそれこそ煙のように、本当は消えたのではなくそこに含まれてしまっただけでしぶとく存在しつづけているのだ、という気がし、つまらない現代に生きている私の、希望であったりします。

カラス

最近、カラスのことがめっぽう気になります。カラスのことを、カラスの鳴き声のことを気にする人にも、興味があります。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。本年度もよろしくお願いいたします。昨年度は手探りでの撮影でしたが、今年はもう少し踏み込んだ撮影ができるといいと思っております。

富士の裾野

山の麓に押し寄せる生活の波は、こうしてみるととても儚い夢のよう。たしかにそこに山はあるのに、、、、。私の生活に、本当に寄り添ってくれるものが何なのか、表現者として考えさせられた、富士の裾野に立って。