石釜(福岡)の棚田

これだけ奇麗な棚田を石で作るのは、ただ、この地域に石がたくさん出てきたからだと思うのだけれど、それでも、これだけ石を奇麗に積もうと思うのは、やっぱりひとの性(さが)なのかな。でも、石を奇麗に積み上げたいという性は、現代というつまらない時代にあっては割にあうわけもなく、煙のように環境に溶け、今では消えてしまった後でしょう。ただ、その性もまたそれこそ煙のように、本当は消えたのではなくそこに含まれてしまっただけでしぶとく存在しつづけているのだ、という気がし、つまらない現代に生きている私の、希望であったりします。

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