言葉の中

方丈記私記[平成]No.004

震災後、床に散らばった本ひとつひとつを本棚に入れなおしたけれどもしばらくはちっとも読む気がしなくって、けれどもふと背表紙が光って感じられた7月、久しぶりに手に取って読み始めた本が森有正のだった。リハビリをするようにたどたどしくも指でなぞりながら読み進めたその69ページ目に「われわれの」と呼ぶことができる言葉がそこにあった。私はのこのことこの言葉を求め探し歩いたのではなく、そもそもに、この言葉の中で立ちすくんでいたのだ

この間、あるフランスの若い女性が尋ねて来た。大学内ゴルフ場内のレストランへ案内して話をした。緑にかこまれた食堂では、何人かの人々が静かに食事をしていた。生粋のパリ育ちのこの女性は数年間を日本で過したのである。私達はよも山の話をしていたが、やがて話は日本における生活、ことに東京の生活のことになった。どういう話のきっかけだったか忘れたが、というのはその時かの女が言ったことばに衝撃をうけて、何の話の中でそうなったのかよく記憶していない。かの女は急に頭をあげて、殆ど一人言のように言った。「 第三発目の原子爆弾はまた日本の上へ落ちると思います。」とっさのことで私はすぐには何も答えなかったが、しばらくしても私はその言葉を否定することが出来なかった。それは私自身第三発目が日本へ落ちるだろうと信じていたからではない。ただ私は、このうら若い外人の女性が、何百、何千の外人が日本で暮らしていて感じていて口に出さないでいることを口に出してしまったのだということが余りにもはっきり分かったからである。かの女は政治的関心はなく、読書も趣味も友人も、ごく当り前の娘さんである。まして人種的偏見なぞ皆無である。感じたままを衝動的に口にしただけなのである。
胸を掻きむしりたくなるようなことがこの日本で起こり、そして進行しているのである。
かの女がそう言ったあと、私は放心したように。大学構内の木々が日の光を浴びて輝くのを眺めていた。 (『木々は光を浴びて』森有正)

この言葉が書かれたのは1970年の11月。本を手にした私の心臓がばくばく鳴って足が震えたのが2011年の7月。そして、まさに、胸をかきむしりたくなるようなことがこの日本で起こり、そして進行しているのである。われわれはそのことをつかの間、忘れていただけなのだ

Comments are closed.