ごちそうさま

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旅先でおいしい食べ物を食べたり素敵な出会いがあると、もちろん「ごちそうさま」「ありがとう」と言うべきひとに言うけれど、それでもそれを述べ足りないように感じるときがある。そんなときにこそ、その土地の神様っていてくれているような気がして、僕は、その土地にある神社に行って「ありがとうございます」とお礼を言うんです。

そんなことをおっしゃるお客様を益子にお迎えして、僕の大好きな神社にお連れする、そして、「すんごい神社だ!」と喜んでくれたときの充足感って、、、、。当然、私も神様に「ありがとうございます」とぺこり。

カエル

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どんな家でも、家は、カエルところ(沖縄, 2001)

白老

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チャンピオンレースの日は白老の空はハトだらけだよ、そんなことをベテランのハト屋さんに聞いたことがある。地図上で線を引いてみると確かにハトがここを通っても不思議ではない。ハトだらけ、というのは渡ることを躊躇するハトの群れが旋回していることを指しているのだろう、対岸には何もないと思えるこの海岸から持ち合わせの本能だけでは津軽を渡ることができないというそのことに、同じ動物としてなんかほっとするのだ。(オン・ザ・ロード/ルートH)

支笏湖

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シコテムコ・エアン・パラト(シコツ川の・水源・そこに・ある・広い湖)を横断しているうちはまだよかったね、そんなことを思うハトはいるんでしょうか。だってこの先には津軽海峡が、、、、(オン・ザ・ロード/ルートH)

チセ

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アイヌのチセ(家)は、ひとつの原型かと思われます。「なにが必要なのか」「どうして必要なのか」を自然に対して答弁する責任をこれ以上の家を望むひとに課してみたらどうだろう、その時、私はなにを望み、どう説明するのだろうか。(オン・ザ・ロード/ルートH)

あっちの世界

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トトロが見えるということは、すでに私は死の世界に足を踏み入れているのかな?(オン・ザ・ロード/ルートH)

寄り道

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ハトが飛ぶコースを外れ、ひとに薦められた湖に立ち寄る。寄り道ができる幸せを噛み締めようとするけれど、寒さのためか、そんな暖かい気持ちは氷面をつつつとすべって消えてゆく。(オン・ザ・ロード/ルートH)

なごり

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はとよ、いずこ(オン・ザ・ロード/ルートH)

惹かれるもの

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身を守るためにつくられてきた家がとにかく私を惹きつけるのは、それが私一人の興味というよりも、太古の昔から引き継いだ記憶に触れる(振れる/降れる)から。潮風にさらされたこの家の主は今はカラス。(オン・ザ・ロード/ルートH)

海か陸か

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ハトは直線的に家(巣)に帰るといわれていますが、直線といったって、山がそびえていればそれを迂回する方法をとるのが自然かもしれません。そのとき、海をとるのか陸をとるのかという選択肢があります。山を選択してきたのは私個人の話ですが、だからこそ、海が根強く私の底に横たわっています。いざ、海へ。(オン・ザ・ロード/ルートH)

肩透かし

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肩透かしを食って意気消沈している私に似合った寂しげな小道を、さあ、出発点にして、ハトが飛んだ(かもしれない)ルートに寄り添ってみましょう、、、。(オン・ザ・ロード/ルートH)

稚内港ふたたび

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2012年の稚内レース、天候不順もあって私の滞在中にハトが飛ばされることはありませんでした。2013年、天候が不順になることが予想されて、私が稚内にたどり着くより先にハトは飛ばされてしまいました。わずかな雲の隙間からのぞいた太陽を頼りにハトは内陸へと飛んでいったそうですが、私が稚内に着いてもなお、その太陽を探しそびれたハトが上空をさまよっていました。(オン・ザ・ロード/ルートH)

上陸

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大学の頃、自転車で北海道を旅したときと同じ苫小牧からの上陸。自転車って書くとなにか慣れた人の旅だけれど、苫小牧から札幌の道中サドルにこすれて「お尻が痛くなる」ことにはじめて気がつくようなノープランな感じ、今も昔も、そういうところに全く進歩がないなぁ。(オン・ザ・ロード/ルートH)

こつぜん

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祖母は、私の小屋を見ずに死んでいった。けれども、生きていたとしたら小屋を見に来たか、そう自問すると、それはありえない、と自答するしか他にない。であれば、死んでしまった今の方が、祖母は、私の小屋の近くにいるということになりはしないか。私の小屋の前には、見えないくらいの量の水が流れる川がある。数日雨が降った後にそれはこつぜんと現れる。その、こつぜんと現れる川にあわせて。(『ハトを、飛ばす』連作のうちの三冊目「こつぜん」より)

もう、ないよ

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ちょっと待ってよ

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冬は、葉も落ち停滞して当然の季節だから、好きです。梅が咲き、桜が花開く頃には、なんだか進歩を要求されているようで、ちょっと待ってよ、という気持ちになってしまいます。世の中はそんな声には答えてくれないけれど、でもその、ちょっと待ってよ、の前にまだ冬なのが東北です。いや、青森の白浜に住むこの家の住人が、ちょっと待ってよ、と私に声をかけてきそうです。そして、そんな両者を必ず待ち構えていてくれるのが、次くる冬です。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

相馬小高神社

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巨大な穴の手前、ここから、とここまでの境にある神社。空虚な穴を癒す手がここにある。

最後の最後に

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撤収だ!と言われて最後の最後にボールを蹴り込んだ男、それを見守った女、それを想像するわたし。

浜吉田

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ハトを無事に家に返すひとつの力となるのが、愛、だといいます。「家に(のっけてくれる)かーちゃんが待ってくれていると思うと誰だって帰りたくなるだっぺ」とは山崎さんの弁。寄り添いながら身を守り、寄り添いながらよりよい生き方を考えるのが、種のとってきた道なのかな。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

決戦前夜

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「明日、旅立つのに何も知らずに」と思うこちら側の私とあちら側のきみ。しかし、あちら側のきみには確実に、こちら側の私が、含まれている。

あるわけない

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去年あった風景だからといって、今年それがあるとは限らない。いや、去年あった風景だから、今年なんかにそんなの、あるわけない。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

ゆめ、うつつ

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数年前、ここで田んぼを耕していたあのひとは、この景色を見て笑うだろう、泣くだろう。ゆめ?うつつ?はっとするほどの黄色い大地を、今は雪が白く染めていること、私は、私の山の白さの中で、夢想する。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

新年のくくるくく

ほうぼう 探して しらじら 夜明けに
いえ 扉は 閉ざして 結んで
ほどけず しみじみ つつしみ めんめんと
ことり 音なり あたしの名 呼んだかい?(映画『ハトを、飛ばす』挿入歌より)

楢葉の神社

駅前の神社、多分ここは毎日毎日「こんにちわ」という言葉や想いが溢れるところだったでしょう。今、それはなく「さよなら」があるだけ。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

岩沢海岸

どんなにひとがせっせと境界線をひいたとしても、自然はそれをいとも簡単にぼかしてゆく。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

里の舞い

本物の海の音、本物の踊り、本物の言葉や歌はどこかにある。それはただ、聞かれたり見られたりするのをじっとどこかで待っている。私がそこへ辿り着くのを待つともなく待っている。
本物の海の音は聴いたことはないかも知れないけれど、優れた映画を観たときにその音を聴いたように思えたことがある、と私は、私としてはめずらしく長い間黙った後に言った。女は素直に、ぜひその映画を流している小屋に私を連れていって欲しい、と可愛くせがんだ。(中編小説「穴よ、海よ」より抜粋)

ひとのもん

いつもは自分のもんとして地平線からあがる太陽を拝んでいるけれど、この日気仙沼にあがった朝日は、気仙沼のひとのもんだと思った。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

北茨城

どこを飛ぶともわからぬ大地と空にあって、通ってくれたらいいなと思いながらまちぶせをする。地形や風を読んではいるけれど、無駄を覚悟でまちぶせる。じっと息をひそめて待っていると、その息が次第に環境に溶けていくのがわかる。動物も山も人もなにもないような気になる。けれど、待ち望んでいたあなたが目の前を通ると、はっと、全てがまた環境から突出して、人間だ!という気持ちが一気に沸き立つ。鷹もそんな感じではっとなって、ハトを襲撃している。そういやー、君もハトくんを待っていたんだよね。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

バイクで歩く

益子の方言かどうかは知らないけれど、こちらのひとは自動車を使ってどこかへ行くとき「ちょっと歩いてまわる」と言う。この日の山崎さん、用事を済ませにバイクを使って歩いてKさん宅へいった。その歩き方、根無し草の私なんかよりもずいぶん身軽だと思った。

「場」というのは、創造的なプロセスを複数のひとびとが共有しないと生まれません。それは、建物の建設過程だけのことをいうのではなく、仕上がった建物の内部にただ座り、煙の行方や光の筋を発見するだけでも十二分に創造的な体験だと思います。そこには作者や観客とうい境はありません。場を生む助けをするのが建築や自然であったとしても、場そのものを生むのはやはりひとのようです。